四国お遍路日記2巡目7-4
5月1日(火)晴れ
私が泊まった部屋は新館で、「高野霊木の間」と名付けられ、壁の一方が木というか板が貼られていたのだが、朝、よくよく見てみたら、高野山の木であることを証明するスタンプが押されていた。ほーっ。
6:00に朝食、6:45出発。
浄瑠璃寺の境内から遍路道へ入る。
47番札所の八坂寺までは1キロもない。
朝が早いので人が少なく、落ち着いてお参りすることができた。人が多いと、般若心経を読むにもどうしても周りが気になってしまう。
駐車場奥に立つ「いやさか不動尊」
八坂寺を出て少し行くと、諏訪神社があった。
諏訪社は、四国ではあまり見かけない気がする。立ち寄り。こちらも絵が奉納されていて、その中の1枚だけは、すぐにわかった。
討ち入りだ!吉良さんがひきずり出されている。
0.5キロほどで、別格9番の文殊院徳盛寺。四国遍路の元祖と言われる衛門三郎の菩提寺。
昨日から、やたらと現われる衛門三郎とは、こんな方。
そして、札始大師堂。衛門三郎の弘法大師を追い求める旅の出発点。
30分ほどで杖ノ渕公園。弘法大師が杖を地面についたら水が湧き出たと言われるところ。全国名水百選の一つ。
杖ノ渕から48番札所西林寺はすぐ近く。
さぁ、どんどん行こう!
49番札所浄土寺までは3.2キロ。
こちらの本堂は室町時代の建物で重文。
中には、六波羅蜜寺と同じタイプの空也上人像が祀られているのだが(口から、阿弥陀様が吹き出しているタイプのもの)、残念ながら厨子に納められて拝観不可。
墓地の中を通ったりしつつ、1.7キロほどで50番札所の繁多寺。
あちこちに目印が付けられているので、迷う心配はない。
住宅街の道を下り、県道40号を進むと、右手の山の上に誰かが(笑)立っている!
日中友好弘法大師像
山の麓が51番札所の石手寺。入口には、衛門三郎の像。
入口から仁王門までの廻廊は仲見世っぽくなっているのだが、そこでおやきを買って、昼食代わりにした。
衛門三郎の生まれ変わりの子が、石を握って生まれてきたので石手寺と名付けられたのだが、その石が寺宝として宝物館に展示されている。えーと、赤ちゃんの手では握りきれない大きさのように見えるのだけど・・・(^_^;)
古色蒼然たる宝物館は種々雑多なものが雑然と並べられているとしか言いようがない。石手寺は外国人さんにも人気があるお寺らしいけれど、宝物館、もう少し何とかしたほうがいいんじゃないか?
仁王門は国宝。
三重塔は重文。などなど、文化財もたくさんあるお寺なのだが、それらの合間に「これ、何?」というようなモノもたくさん造られていて、不思議さ加減では88ヵ所のうちナンバー1のお寺と言っても過言ではないような気がする。
石手寺の裏山を超える遍路道を通って、前回お参りした伊佐爾波神社の脇を下り、道後の町へ。連休のはざまではあるけれど、人が多い。道後温泉本館は入館の列ができていたので、今回もスルー。入れる時は来るのだろうか?(笑)
今日のお遍路はここまで。道後温泉駅からタクシーで大街道のホテルまで。前回も泊まったチェックイン。温泉を引き湯しているし、チェックインは京都でも利用するので割引チケットを持っている。松山城に行くにも便利なので、また利用することにした。
ホテルに入って荷物を置いて、すぐに松山城へ。前回、天守閣まで行ったものの時間がなくて中には入れず、日本100名城スタンプだけ押させてもらった。その時に、次回は必ず入城しますからと誓ったのだ。誓いは守らねば。
松山城は、現存12天守の一つ。慶弔7年(1602)加藤嘉明が五重天守を完成。その後、三重に縮小された後、火災で焼失。安政元年(1854)再建された。
勝山のてっぺんにあるので、往復はリフトかロープウェイに乗る(もちろん、歩くこともできるけれど)。降り口からさらに天守入口までは、そそり立つ石垣を見ながら、歩いて10分ほど。
小天守と天守が連なっていて、連立式天守閣というそう。両方とも上ることができる。
私の好きな宇和島城に比べると、何ともゴージャスな感じ。
江戸時代に真念さんによって書かれた「遍路道指南」には、昨日通った三坂峠から、松山城が見えるとの記述がある。三津の海も見えたらしい。今や、全く見えないけれど。
・・・坂有見坂となつく 此の峠より眺望すれハちとせことふく松山の城堂々とし ねがひハ三津の濱浩々たり・・・
あの山道を歩いていた人々は、どう感じたのだろう。松山の城下はまだまだ遠いと凹んだのか、それともお城が希望の星か何かのように見えたのだろうか。
お城から降りて、秋山兄弟生誕地に行ってみた。時間的に中に入るのは無理だとはわかっていたが、ちょうど門を閉める寸前で、職員さんのご厚意で、写真を撮るだけならと中に入れていただけた。おまけに「撮ってあげる」とも(笑)
ホテルに戻って、ホテル内で夕食。正直なところ学食並み(お値段も)だったけれど、このところ毎晩しっかり食べていたので、こんな日もアリということで。
私が泊まった部屋は新館で、「高野霊木の間」と名付けられ、壁の一方が木というか板が貼られていたのだが、朝、よくよく見てみたら、高野山の木であることを証明するスタンプが押されていた。ほーっ。
6:00に朝食、6:45出発。
浄瑠璃寺の境内から遍路道へ入る。
47番札所の八坂寺までは1キロもない。
朝が早いので人が少なく、落ち着いてお参りすることができた。人が多いと、般若心経を読むにもどうしても周りが気になってしまう。
駐車場奥に立つ「いやさか不動尊」
八坂寺を出て少し行くと、諏訪神社があった。
諏訪社は、四国ではあまり見かけない気がする。立ち寄り。こちらも絵が奉納されていて、その中の1枚だけは、すぐにわかった。
討ち入りだ!吉良さんがひきずり出されている。
0.5キロほどで、別格9番の文殊院徳盛寺。四国遍路の元祖と言われる衛門三郎の菩提寺。
昨日から、やたらと現われる衛門三郎とは、こんな方。
そして、札始大師堂。衛門三郎の弘法大師を追い求める旅の出発点。
30分ほどで杖ノ渕公園。弘法大師が杖を地面についたら水が湧き出たと言われるところ。全国名水百選の一つ。
杖ノ渕から48番札所西林寺はすぐ近く。
さぁ、どんどん行こう!
49番札所浄土寺までは3.2キロ。
こちらの本堂は室町時代の建物で重文。
中には、六波羅蜜寺と同じタイプの空也上人像が祀られているのだが(口から、阿弥陀様が吹き出しているタイプのもの)、残念ながら厨子に納められて拝観不可。
墓地の中を通ったりしつつ、1.7キロほどで50番札所の繁多寺。
あちこちに目印が付けられているので、迷う心配はない。
住宅街の道を下り、県道40号を進むと、右手の山の上に誰かが(笑)立っている!
日中友好弘法大師像
山の麓が51番札所の石手寺。入口には、衛門三郎の像。
入口から仁王門までの廻廊は仲見世っぽくなっているのだが、そこでおやきを買って、昼食代わりにした。
衛門三郎の生まれ変わりの子が、石を握って生まれてきたので石手寺と名付けられたのだが、その石が寺宝として宝物館に展示されている。えーと、赤ちゃんの手では握りきれない大きさのように見えるのだけど・・・(^_^;)
古色蒼然たる宝物館は種々雑多なものが雑然と並べられているとしか言いようがない。石手寺は外国人さんにも人気があるお寺らしいけれど、宝物館、もう少し何とかしたほうがいいんじゃないか?
仁王門は国宝。
三重塔は重文。などなど、文化財もたくさんあるお寺なのだが、それらの合間に「これ、何?」というようなモノもたくさん造られていて、不思議さ加減では88ヵ所のうちナンバー1のお寺と言っても過言ではないような気がする。
石手寺の裏山を超える遍路道を通って、前回お参りした伊佐爾波神社の脇を下り、道後の町へ。連休のはざまではあるけれど、人が多い。道後温泉本館は入館の列ができていたので、今回もスルー。入れる時は来るのだろうか?(笑)
今日のお遍路はここまで。道後温泉駅からタクシーで大街道のホテルまで。前回も泊まったチェックイン。温泉を引き湯しているし、チェックインは京都でも利用するので割引チケットを持っている。松山城に行くにも便利なので、また利用することにした。
ホテルに入って荷物を置いて、すぐに松山城へ。前回、天守閣まで行ったものの時間がなくて中には入れず、日本100名城スタンプだけ押させてもらった。その時に、次回は必ず入城しますからと誓ったのだ。誓いは守らねば。
松山城は、現存12天守の一つ。慶弔7年(1602)加藤嘉明が五重天守を完成。その後、三重に縮小された後、火災で焼失。安政元年(1854)再建された。
勝山のてっぺんにあるので、往復はリフトかロープウェイに乗る(もちろん、歩くこともできるけれど)。降り口からさらに天守入口までは、そそり立つ石垣を見ながら、歩いて10分ほど。
小天守と天守が連なっていて、連立式天守閣というそう。両方とも上ることができる。
私の好きな宇和島城に比べると、何ともゴージャスな感じ。
江戸時代に真念さんによって書かれた「遍路道指南」には、昨日通った三坂峠から、松山城が見えるとの記述がある。三津の海も見えたらしい。今や、全く見えないけれど。
・・・坂有見坂となつく 此の峠より眺望すれハちとせことふく松山の城堂々とし ねがひハ三津の濱浩々たり・・・
あの山道を歩いていた人々は、どう感じたのだろう。松山の城下はまだまだ遠いと凹んだのか、それともお城が希望の星か何かのように見えたのだろうか。
お城から降りて、秋山兄弟生誕地に行ってみた。時間的に中に入るのは無理だとはわかっていたが、ちょうど門を閉める寸前で、職員さんのご厚意で、写真を撮るだけならと中に入れていただけた。おまけに「撮ってあげる」とも(笑)
ホテルに戻って、ホテル内で夕食。正直なところ学食並み(お値段も)だったけれど、このところ毎晩しっかり食べていたので、こんな日もアリということで。